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江戸時代より、日本を代表する芸術として今に伝わっている俳句。当時より様々なテーマの作品が産まれていますが、ここでは恋を詠んだ有名な俳句を5つご紹介します。

亡き人への思い、許されぬ恋、若き日の恋との決別…
さまざまな恋の世界を俳句で味わってみてください。

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恋の俳句(1)鈴木真砂女による、恋の炎を灯す蛍の輝き


死なうかと 囁かれしは 蛍の夜

作者は波乱万丈の人生を送った女性俳人、鈴木真砂女(すずきまさじょ)です。旅館の三女に生まれ、22歳で恋愛結婚するも夫が蒸発してしまい、実家に戻ります。その後、実家の旅館を継いでいた姉が急逝。28歳で姉の夫と再婚し、旅館の女将として家業を切り盛りします。俳句と出会ったのはこの頃で、久保田万太郎や安住敦に師事しました。

そして30歳の頃、旅館の宿泊客だった妻子ある軍人と恋に落ち、出征した彼を追いかけたりなんかもしています。その後、夫婦関係は悪化し、50歳の頃に離婚。その後は東京で小料理屋を営みながら、俳句を作り続けました。


そんな鈴木真砂女が詠んだ句の意味はこちら。

『死のうか』と囁かれたのは、蛍が飛び交う夏の夜だった


解釈するまでもないですよね。蛍のはかない光は燃える恋の火の象徴。それが「死」という言葉によって、いっそう引き立っています。道ならぬ恋に落ち、「死のうか」という男の囁きが、かえって恋の火を燃え立たせるのです。ゾクッとするような句ですね。

余談ですが、平安時代から蛍は「燃える恋の火」に見立てられ、和歌にも詠まれてきました。俳句でも「蛍」は「夏」の季語として、よく使われます。

恋の俳句(2)橋本多佳子による、想い人への私墓を描いた作品


雪はげし 抱かれて息の つまりしこと

作者の橋本多佳子(はしもとたかこ)は東京で生まれ、実業家のもとに嫁ぎます。建築家でもあった夫が建て、一家で暮らした福岡・小倉の「櫓山荘」は文化サロン的な役割を担っていました。俳人の高浜虚子が訪ねてきたことをきっかけに、多佳子は俳句に親しむようになります。しかし多佳子は1937年に夫を亡くしています。この歌が詠まれたのは、それから12年後の事でした。


句の意味を取るならこうなるでしょうか。

激しい雪が降っている。
力いっぱい抱きしめられて、息が詰まったことを思い出す・・・



季語はもちろん「雪」です。「はげし」いのは、雪の降りようであり、抱きしめる腕の強さなのでしょう。多佳子の亡き夫への思いなのか、それとも他の誰かなのか。明らかにはされていません。

多佳子の写真をネットなどで見ることができますが、なかなかの美人です。40歳手前で夫に先立たれた美貌の未亡人、しかも上流階級のマダム。いろんな想像がよぎります。

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恋の俳句(3)黛まどかが詠んだ、逢瀬前の気持ちを詠んだ一句


会いたくて 逢いたくて踏む 薄氷

時代は一気に飛び、現代を代表する女性俳人・黛まどか(まゆずみ)の作品です。この人も美人で。26歳の頃には「東京きものの女王」に選ばれたほどです。雑誌やテレビなどに登場することも多く、芸能人や文化人との交流も深いようです。


さて、この句の意味を読み解いてみましょう。

早春の薄氷を踏みしめるようにあの人に逢いに行く


ここでのポイントは、「会う」と「逢う」の違いでしょう。「会う」は一般的な人と人とが会うことですが、「逢う」は「逢瀬」、つまり恋人同士が会うことです。異なる感じを重ねていることで、気持ちが急いている感じが出ていますね。「薄氷を踏む思い」という言葉があるように、ヒヤヒヤしながら逢っている、これもまた許されない恋です。

しかし、「会いたくて逢いたくて薄氷を踏む」ではなく、「踏む薄氷」としているところに「あえて薄氷を踏む」という意思を感じます。季語は「薄氷」という春を意味する言葉です。「春」といっても早春、イメージとしては2月の半ばといった感じです。

すぐに割れてしまう早春の薄氷を踏むような、危うい恋。この句を詠んだとき、作者は20代前半。危うさを抱えた強い意志は、若さの特権だなぁ…などと思ってしまいました。

恋の俳句(4)三橋鷹女が詠んだ、略奪愛をテーマにした俳句


鞦韆(しゅうせん)は 漕ぐべし愛は 奪うべし

今まで紹介した中で、いちばん「ん?」と思う句ではないでしょうか? 

この句は三橋鷹女(みはしたかじょ)の作品。橋本多佳子とともに昭和を代表する女性俳人です。夫が歯科医で俳人でもあったことが縁で、俳句の世界に入ったという経歴の人です。「風鈴の音が眼帯にひびくのよ」など、「え?」と引っかかってしまう句が多く、前衛的と評されます。


さて、前衛的な彼女の俳句の意味を解釈してみました。

暖かい春の日にブランコを見つけたら、漕ぐのは当然。
同じように、愛を見つけたら奪うのは当然である



これを詠んだとき、鷹女はすでに50歳を超えていました。それでもなお、このパワーには圧倒されます。発表されたのは戦後間もない1951年のこと。自由で新しい価値観の中で生きていく若い女性たちにエールを込めて、この句を詠んだのかもしれません。

ちなみにこの「鞦韆は~」の句の季語は、ブランコを意味する「鞦韆」で、春の季語です。冬場は公園で寂しく止まっているブランコですが、春になると子どもたちが喜び勇んでブランコに駆け寄り、力いっぱい漕ぎます。ブランコはそこにあるから漕ぐもの、愛はここにあるから奪うもの…といった形で、2つの全く関係ないものを重ね合わせていると考える事も出来ます。

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恋の俳句(5)高柳重信が詠んだ、男性の喪失感を描いた作品


きみ嫁(ゆ)けり 遠き一つ の訃(ふ)に似たり

最後に男性俳人の句をご紹介します。高柳重信(たかやなぎしげのぶ)は「前衛俳句」の中心人物。前衛俳句とは、季語がなかったり、現代詩のように3行の分かち書きで俳句を表記するなど、従来の俳句にとらわれない表現方法を探求するものです。この句にも「季語」がありません。


句の意味を解釈してみました。

あの人が嫁に行ったと人づてに聞いた。
縁遠くなってしまった人の訃報を知ったような気持ちだ



この句は、遠い昔の恋が完了した男性の喪失感を詠んでいます。あの人に変わらぬ思いを抱いていたわけではないのでしょう。ときどき、思い出す程度だったのかもしれません。それでも、「あの子、嫁に行ったよ」と誰かから聞かされると、胸が少しざわめくのです。「遠き一つの訃」は、そうしたざわめきを表現しているのでしょう。男の人はロマンチストですよね。

※参照:花を読んだ有名な俳句とその意味を5つ解説!

この記事のまとめ


恋をテーマにした有名な俳句を、その意味と共に5つご紹介しました。それぞれの句の主人公は、あなたのまわりの誰かに似ていませんか?もしかしたら、あなた自身とそっくりかもしれませんね。

5・7・5のたった17文字でつくられる俳句は、和歌・短歌に比べて人間の情を表現するのは難しいのでは?と思われがち。しかし、俳句にも恋を詠んだ作品はたくさんあります。受け取り手が自由に想像できる余白を持ちながらも、短さゆえに深い思いがギュッと詰まっていますよ。

言葉を選び、配置するために俳人は計算しつくします。研ぎ澄まされた感性が造りだした俳句という文芸は、あなたの感性を磨いてくれるに違いありません。