夜道を歩いているときなど、何気なく空に浮かぶ月を探してしまうことはありませんか?
私は、スマホに「月」のカレンダーアプリを入れるぐらい好きです。
実は、有名な和歌を詠んだ風流な歌人たちは、「月」に関する和歌を多く残しています。
古来より人々を惹きつけてやまない「月」。
そこで今回は、「月」にまつわる有名な和歌をご紹介します。
Contents
その1.柿本人麻呂のロマンチックな「月」の和歌
「天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」
作者は、三十六歌仙の柿本人麻呂。
万葉集を代表する歌人です。
こちらの和歌も、万葉集に収録された有名な和歌でもあります。
早速、現代語に直してみましょう。
「雲の波が立つ天(空)の海に、月の舟が煌めく星の林に漕ぎ入って隠れていくのが見える」
なんとも幻想的な情景が目に浮かぶような和歌です。
さすがは、クリエイティブな才能に溢れた柿本人麻呂といえるかもしれません。
その2.壬生忠岑の哀愁漂う「月」の和歌
「有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし」
作者は、三十六歌仙の一人として名高い壬生忠岑(みぶのただみね)です。
「古今和歌集」の撰者としても有名です。
こちらの和歌も勿論、「古今和歌集」に収録されており、また小倉百人一首にも選ばれています。
それでは、どんな和歌なのか訳してみましょう。
「あなたとの別れのときも有明の月が残っていました。
それ以来、有明の月が残る夜明けほど辛いものはありません。」
哀愁漂うこの和歌からは、愛しい人に別れを告げられた時のことを引き摺っている壬生忠岑の心情が伝わってきます。
壬生忠岑には好きな女性がいたようですが、その女性とは別の方と結婚なさったようです。
そのため、この和歌は当時好きだった女性を想って詠んだのではないかと伝えられています。
その3.在原業平の悲恋の「月」の和歌
「月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして」
作者は、六歌仙であり三十六歌仙の一人、在原業平です。
日本史上を代表するプレーボーイとして有名な在原業平のこの和歌は、「古今和歌集」に収録されていますが、「伊勢物語」にも、そっくりそのまま使用されています。
その「伊勢物語」自体、在原業平をモデルとされていることでも有名な作品ですから、狙って使用したのかもしれませんね。
どんな和歌になっているかといえば、
「月は違う月なのか。春は昔の春ではないのか。
私だけが昔のままで、それ以外は全て変わってしまったのだろうか」
という、なんとも未練たっぷりな雰囲気の和歌ですよね。
「伊勢物語」では、主人公の男が恋い焦がれたけれど、結ばれることが許されないという女性が住んでいた屋敷に赴き、そこには既にいない女性を思い出して涙する、というシーンで詠まれた和歌です。
因みに、在原業平も許されない恋愛をしていた女性がいます。そして、この「月やあらぬ〜」という和歌は、その女性を想って詠んだと伝えられているのです。
その4.安倍仲麻呂の募る郷愁の「月」の和歌
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出(いで)し月かも」
高校の古文の授業ではお馴染みの和歌ですね。
作者は、阿倍仲麻呂。
和歌に込められた想いを知るためにも、阿倍仲麻呂の簡単なプロフィールをご紹介します。
優秀だったため19歳で遣唐使と共に唐へ留学。
その後、現地の官吏登用試験に合格。
優秀・有能だったお陰で皇帝にも寵愛されます。
老い先を感じる中年に差し掛かった頃、そろそろ帰国しようとするも船が難破して帰れず、結局は唐に戻って再び皇帝に仕えつつその人生を終えた人です。
そこで、「天の原〜」の和歌です。
「大きく広がる空を仰ぎ、遠く見渡してみると月が浮かんでいる。
この月は、私の故郷、奈良の春日にある三笠山に昇っていた月と同じなのだな」
異国の地から月を見上げ、その月を通して遠く離れた故郷で見た光景を思い出している様子が伝わる作品として、小倉百人一首にも選ばれるなど、当時から知られていた名作です。
因みに、この阿倍仲麻呂は、あの中国を代表する詩人・李白ともお友達だったそうです。
その時点で、阿倍仲麻呂が異国で凄い地位を築いていたことが分かります。
その5.藤原道長の栄華を表す「月」の和歌
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
日本人だったら、藤原道長を知らないまま大人になる人はいないという程の知名度があります。
そして、ご紹介する「この世をば〜」の和歌も同様に有名です。
何故かといえば、藤原道長を一番イメージしやすい和歌でもあるため、セットで紹介されることが多いのでしょう。
読んで字の如くではありますが、せっかくなので現代風に直してみたいと思います。
「欠けるところのない望月(満月)のように
この世はすべて自分のためにあるのだと思えるよ」
人がうらやむ栄華を築き、全てにおいて満ち足りていた藤原道長が、祝宴の席で即興で詠んだ作品として有名です。かなり自慢が入った和歌ですが、当時の道長が絶頂期だったのは周知の事実であり、誰も反論しなかったようです。
しかし、この和歌が言霊になったのか、この後の藤原道長は、満月が欠けていくように病になって出家したり、子供たちに先立たれたりと、心穏やかな晩年は過ごせなかったようです。
この記事のまとめ
「月」にまつわる和歌の中で、とりわけ有名な作品を5つご紹介してみました。
心の内にある色々な想いを乗せて詠まれた和歌を知ると、昔の歌人たちの見ていた光景や抱いた感情が、時代を超えて伝わってきます。それはもしかしたら、過去の歌人たちと同じ月を、現代の私たちが見ているからかもしれません。
古から空に浮かび続けている月を通し、作者の心境を思い浮かべながら、和歌の持つロマンチックな世界に浸ってみてはいかがでしょうか。