古今和歌集の和歌の中には、鳥を題材にした作品がいくつもあります。
その中でも、特に有名な鳥がホトトギス。
私自身、古今和歌集を学んでいる中で、ホトトギスが出てくる和歌が多い事に驚いたものです。
そこで今回は、最初の勅撰和歌集である古今和歌集に掲載されている和歌の中で、ホトトギスが登場する作品を5つ紹介します。
Contents
和歌1.ホトトギスの鳴く声と、報われない恋を掛けた和歌
「五月山 こずゑをたかみ 時鳥 なくね空なる 恋もするかな」
作者は、紀貫之です。
古今和歌集でも有名な歌人で、日本文学史上、最大の敬意を払われてきた人物でもあります。
そんな紀貫之の和歌を現代語に訳してみると、以下のようになります。
「五月の山の梢は高く、そこにいるホトトギスも遠い空に鳴いている。
私の心もいくらないても空しく報われない恋をしている」
遠い空に鳴くホトトギスの声が虚ろに響く様と、自分自身の空しさを掛け合わせている高度な和歌です。
紀貫之は、とても奔放な自由人だったそうですが、頭脳明晰でその和歌の腕前は天下一品。
当時、わざわざお偉いさんたちがこぞって紀貫之のお家に行って和歌の作成を頼み込むくらいだったそうですよ。
和歌2.夏の夜をホトトギスを用いて表した和歌
「夏の夜の 臥すかとすれば 郭公 鳴く一声に 明くるしののめ」
平安期を代表する歌人、紀貫之が詠んだ夏の和歌です。
早速、現代語に直してみましょう。
「夏の夜、眠りについたと思ったら、
ホトトギスの一鳴きで目覚めさせられた。
けれど、もはや夜明けを告げていたよ」
短い夏の夜の時間間隔を、ホトトギスの一鳴きと明けてきた東雲の空で表しています。
さすがは三十六歌仙の紀貫之。
決して目覚ましのニワトリ扱いでホトトギスを使ったわけではないのですね。
和歌3:夏の夜がすぐに明けることを詠った壬生忠岑の和歌
「暮るるかと みればあけぬる 夏の夜を あかずとやなく 山郭公」
三十六歌仙の一人、壬生忠岑が詠んだ夏の和歌です。
こちらを現代語に訳してみると、以下のようになります。
「日が暮れるかと思えば、たちまち明けていく夏の夜を
飽き足りないと鳴いているのだろうか、あの山のホトトギスは」
「あかず」の部分には、飽きないという「飽かず」と、夜が明けていない「明かず」の二つの意味があるのだとか。
さすがは、古今和歌集の撰者の一人。
言葉の掛け方がとてもさり気なく美しいですね。
和歌4.女性の心情をホトトギスになぞらえた和歌
「音羽山 こだかく鳴きて 郭公 君が別れを 惜しむべらなり」
三十六歌仙の一人、紀貫之の詠んだ有名な夏の和歌です。
紀貫之は、男性でありながら女性目線の和歌や物語も多く作成しています。
こちらの哀歌を現代語に訳してみると、それがよく分かります。
「音羽山の梢高く鳴くホトトギスも、
あなたとの別れを惜しんでいるようです」
「こだかく鳴きて」の部分に、位置的な「小高い」と声の「小高い」が掛けられていると言われています。そして、小高く泣く声は、女性の声をも表しています。
つまり、恋しい人との別れに泣く女性の心情を、ホトトギスの鳴き声になぞらえた作品と言うことになるのですね。
和歌5.ホトトギスの鳴き声と人の世を対比させた和歌
「いそのかみ ふるき都の 郭公 声ばかりこそ 昔なりけれ」
作者は、素性法師です。
三十六歌仙の一人で、血筋を辿れば天皇家に繋がる人物です。
素性法師が詠んだ夏の和歌を現代語に訳してみます。
「石上の古き都で無くホトトギスよ。
昔から変わらないのは、その鳴く声ばかりだ」
変わらない自然界と、変化していく人の世。
その無常観を詠った和歌なのだそうです。
因みに、この素性法師は、若くして出家をしましたが、その和歌の腕前から代々の天皇の寵愛を受けた方なのだとか。そればかりか、彼が亡くなった際には、あの紀貫之や凡河内躬恒などが追慕の歌を詠んだそうです。
この記事のまとめ
今回は、ホトトギスを用いた古今和歌集の和歌をご紹介しました。
これらの和歌は、全て夏を詠んだ和歌になるのですが、古今和歌集の夏の和歌34首の中で、ホトトギスが使用されているのはなんと28首もあります。
ここまでホトトギスだらけだと、どんだけホトトギスが好きなのかと思いますよね。
しかし、それはつまり、それだけ当時の方々にとって、「夏」といえば「ホトトギス」だったという証でもあるのかもしれませんね。
※参照:夏をテーマにした有名な和歌を5つ紹介!